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bluewoody のミニエッセー・シリーズ

〜英語は旅路の彩り〜

「英語塾」は英語中年の揺籃(ゆりかご)だった


 十畳ほどの古びた居間に、フランク・シナトラの大音声が響いていた。

 曲は「聖夜」。大型のハイファイ・セットのスピーカーからだ。ハイ・ファイを「電蓄」と呼ぶ人もいた昭和三十年代後半、師走の夜。田舎町ではその「電蓄」も珍しかった。

 
 引退教師のT先生が主宰する英語塾の教室は、先生の自宅だった。古ぼけた天井。思い切り上げたボリュームが、障子紙を震わせている。


 中学一年生の僕。長机の前に座る十人ほどの少年、少女たちの耳に、シナトラの美声が、妖しいまでに生き生きと迫る。

 救い主の誕生をことほぐ歌詞。「ラウンド ヤング バージンマザー アンド チャイルド…」。リエゾンも滑らかに、シナトラは朗々と歌い上げていく。

 英語が、耳に心地よい言葉だと、この時、僕は初めて知った。

 うっとりと聴いていると、先生は歌詞のプリントを配り始めた。

「シナトラと一緒に歌ったらどうか」。突然の提案だった。

 英語というものを、ことし習い始めたばかりの僕たちにとって、これはとまどう誘いだった。だが、プリントには片仮名もある。

 先生も共に歌ってくれるという。

 はじめは恐る恐るだった。たどたどしかった。が、なんといっても、日本語ではよく知っている歌だ。三ラウンド目ともなると、子供たちはなんとかシナトラについていけるようになった。

 アルファベットが「音楽」に乗ってきた。

 「ホーリー インファント ソウ テンダー アンド マイルド スリーピング ヘブンリー …」。僕たちがへたでも、シナトラという“後ろ楯”がいるのが心強い。
 

 「歌がうまい」とは、シナトラのような歌い手をいうのだろう。今でもそう思う。一緒に歌っていると、僕は気分がよくなってきた。

 石油ストーブのきつい臭いも忘れ、まるで自分があのカーネギーホールで朗唱しているようだった。ハイな気持ちといったらいいか。

 T先生は、英語の歌詞を解説するような野暮な人ではなかった。だが、シナトラの美声に寄り添う「言葉」が、一節一節、僕のハートにしみ込んでくるのが分かった。

 

 歌う自分の声が、心の中に響いてきた。皆の顔は、意外な喜びを見つけた驚きと興奮で、うっすらと赤みを帯びている。

 音で伝わる英語とはこんなにも美しいものなのか−。この夜から、僕は、「英語」が好きになった。

(了)

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