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bluewoody のミニエッセー・シリーズ

〜英語は旅路の彩り〜 13

  “語彙力のリハビリ”はいかが?

               (平成12年11月)

 「いったい、どれだけの語彙を覚えれば合格できるんだろう」。

 英検準1級にトライしてまず突き当たるのは、この疑問ではないだろうか。

 疑問の後に軽い絶望感がつきまとってくることもある。恐ろしい。

 試験の冒頭にいきなり出現する30題もの語彙問題。この分量を見て、まずうんざりする。これ、正直なところだろう。

 それで、あなたは次に一回分の過去問題に挑戦してみる。結果、10問くらいしか正解できなかったりする。この時点で、「あ、もう『準1』はだめだな」などと、早くもあきらめの気持ちを抱いたのではないか。

 実は僕も、初受験(44歳だった。いま、51歳)のころは、こんな具合だった。だが、そのままではどうも面白くないのだ。不愉快なのだ。

 なぜなら、腹の底では、「高校時代、ESSにも所属して、英語がかりにも得意だった人間が、この程度の試験を突破できなくてどうするんじゃい」という思いが、わだかまっていたのだ。

 が、よく考えてみると、このわだかまりには、大した根拠があるはずもない。高校のESSで活動していただけで、しかも英語の学習には20年のブランクがあるのに、「語彙問題で高得点を取れそうだ」−と期待するほうが無理だった。

 そこで、「初受験から遡って英語の勉強と20年間ほど無縁だった事実」を、じっくりと味わってみた。「これはスポーツと同じだ。長く練習を休んでいたボクサーが、いきなり試合に臨んだらどうなるのか」。自分の状況はこれと似ていないだろうか−と、思い返してみたのである。

 このように、己を取り巻く状況を冷静に分析し、謙虚に反省できるところが、中高年のいいところなのである。

 では、どうするか。思いついた。いいアイデアを。大学入試用の単語、熟語集。いわゆる「出る単」ではない。もっとベーシックな編集のやつだった。いまでも手元にある。

 「英語単語熟語の総合的研究」(旺文社刊)。この出版社を選んでしまうところに、受験勉強時代の「刷り込み」が見て取れる。受験書出版界のスーパーブランドは旺文社である―との思い込みである。僕の大学受験時代から30数年たったいまでも、この神話は生きているのだろうか。

 それはともかく、この本は、大いに役に立ってくれた。不定冠詞の「a」までも載っているのである。とにかく全nを読破した。

 ここで思い知らされた。英検2級程度の語彙でも、忘れているものが多いことを。この点に気づいた時は、正直なところ愕然とした。20年という歳月は、やはり大きかったのだ。

 でもまあ、読み始めてしばらくしてから、常識的な語彙については、僕の心の中にぽつぽつと甦り始めたものだ。「うん、この単語は、どこかで、習ったなあ。

 思い出したぞ」という具合である。この気分はいいものだ。昔の恋人(というと大袈裟か)に再会して、あらためてその美しさに気づいたようなものなんだろう。

 僕の世代は、「団塊の世代」と呼ばれる。戦後の出産ラッシュで増えた仲間同士が、受験、就職などで、いやおうなく「競争」させられてきた。

 このため、幸か不幸か、得意科目の大学受験参考書をじっくり読みなおす程度の作業は、40代半ばのおじさん世代になったからとて、苦しいということはなかった。身についたこんな習性を、ほろ苦く感じることもあるが。

 すっきりといえば、参考書読みのこの段階では、僕は「英検以前」の地ごしらえを自分の中にしていたのだ。

 いま、振り返ると、この「英検以前」の段階を通過したことは有益だった。なぜなら、僕の心の中にこれから準1級に挑戦していくための土台というか基準が持てたからだ。

 つまり、「受かるための語彙学習」を、これから進めるための基礎力を、獲得できたといえるだろう。これは、大袈裟な物言いだろうか。

 多くの社会人が受ける英検。僕と同じように、久しぶりに「英語の試験」に接する人も多いだろう。この際、上記の“語彙力のリハビリ”を試みてほしい。きっと、気分が晴れてくるはずだ。

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