bluewoody のミニエッセー・シリーズ
〜英語は旅路の彩り〜
気分は、「グッド」…。「英検準1級」合格を知った日
アパートのドアを勢いよく引き開ける。夕刻、土間に目をやる。見慣れたブルーの文字を印刷した葉書。郵便受けから落ちたらしい。サンダルの横にひっそりとしている。
「吉」とは思う。だが、確信はない。バッグを上がりかまちに置く。空いた手の指で、気持ちとは裏腹に無造作につまみ上げた。
爪を使って矩形の隅からめくっていく。「合格」。今度は黒い字。来た。間違いではない。複雑な歯車がかみ合うイメージが、アタマに浮かぶ。喉がかわく。だが、水ではない。辛い日本酒が飲みたい。
平成10年(1998年)8月初旬。「日本英語検定協会」から、山国の町の小さなアパートに届いたちっぽけなはがき。48歳の勤め人の気持ちを、いつになく弾ませてくれた。
「準1級」は、それまで5年間で、6回受験した。6度目が、実った。
動機。中学生のころから、どこか好きだった「英語」。その力を「第三者」が認定してくれるところが気に入った。
高校時代、3、2級にうかった。昭和40年代前半。今から30年以上も前だった。英検は、草創期にあった。問題は、今ほど難しくなかったろう。びっくりするほど楽々と、合格を手にした。だが、気分は大いによかった。
英語と無関係な学部に入学した。卒業後、1級に1回、挑戦。あっけなく不合格だった。当時、「準1級」は存在しない。
その後、20年間、「英語」とは、ほとんど縁が切れていた。選んだ仕事が“私時間”をなかなか許さない性質だったこともある。
40歳代前半で単身赴任になった。家族の存在が、日常からすっぽりと抜け落ちた。腹の辺りが、すかすかした。埋め合わせなければならない…。
「三つ子の魂、百までも」という。「英語をやろう」と、自然に出てきた。そこから5年間、単身のまま転勤を繰り返しながら、「準1級」を受けてきた。
「団塊(だんかい)の世代」と、我々は名付けられている。戦後に、一時に大勢の人間が生まれた。その世代だ。
受験競争に、さらされてきた。だから、「英検」のような試験の「傾向と対策」を吟味することにかけては、年季が入っている。自慢にもならないが…。
5回目の「準1級」受験の1ヵ月ほど前、一般の勤め人に近そうな“まともな”職場に異動した。心と時間に余裕ができた。その5回目は、「1点差」で不合格。6回目にやっつけた。
30年ほど前の「2級」合格の「気分のよさ」が蘇った。
5年間の作業は、これを味わうためにあった−と、納得した。
「英語」は、今も昔も自分の仕事には絡んでこない。外国にも出掛けたことはない。それでいい。
趣味のひとつが、「英語」になっている−といいたかった。
「英検」合格者にしか味わえない、あの「気分のよさ」。もういちど、出会いたい。
だから、「1級」にも仁義を切っている。3回受けた。黒星が続く。準備作業が、ぼけ防止にもなると思う。こんなことを考える50歳になった。
(この項、終わり)
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