ホーム

      


bluewoody のミニエッセー・シリーズ

〜英語は旅路の彩り〜 56
 

 “完全主義”を越えて (続)


 「“完全主義”症候群」と、私は戯れに名づけている。

 その“症状”は、自分が思い込んだこと、決めたこと、計画を立てた
こと−が予定どおりに進まなければ、気分が落ちつかず、不安になって
しまうことである。

 世の中に存在しているのは、自分だけではない。他人がいる。自分に
してからが、他人にとっては「他人」である。してみれば、なにかをな
そうとする時、自分の思惑「だけ」で、物事を進めるわけにはいかない。
他人が絡んでくるからだ。

 となると、物事は必ずしも、自分の思い通りに進むわけではない。

 この世の中に、自分しか存在しないとする。この場合でも、物事が己
の決めたとおりに進むとは限らない。なぜなら、我々は機械ではないか
らだ。「心」という得体の知れない「存在」と、大部分が水分で構成さ
れた「体」という「存在」から、我々はできあがっている。時には倦怠
感に襲われたり、疲労したりと、さまざまな障害がやってくるのだ。

 したがって、「自分しか存在しない世界」でも、物事が計画どおりに
進むとは限らない。

 「“完全主義”症候群」を抱える人は、冷静に考えればしごくあたり
まえな、こうした事情を容認したくないと思っているのではないか。そ
れと意識はしていなくても。ある意味では「非寛容」な心情の持ち主と
いえる。だからといって、「世は思いどおりにいかないことも多い」と
いう、この下世話な真実がなくなるわけではない。

 そこで、悩むわけである。「こんなはずはない」「自分はこんなにだ
らしのない人間だったのか」…などと。こうなると、苦しくなる。苦し
さのあまり、自分がとりかかっている計画そのものを放擲(ほうてき=
ほうってしまうこと。うちすてること)してしまいかねない。

 このように、「ゼロかすべてか」と突っ走ってしまう自分の姿は、あ
る意味で若々しい。ひょっとすれば、美しくさえある。

それゆえに、少しでもうまくいかなくなった時の心の落ち込みようは、
ことのほか激しくなる。

 「英検に合格する」との大目的をもってこのマガジンに集っている君
たちは、こうした「“完全主義”症候群」にとり憑かれてはならない。
英検合格までは長期戦の覚悟が要るのだから、「“完全主義”症候群」
は我々にとって、「明白な敵」だと意識していただきたい。

 では、「“完全主義”症候群」の予防法はあるのか。

 ある。簡単である。ここでもやはり「心」の構えが、我々を正しい方
向へ導いてくれるのだ。

 すなわち、計画どおりにいかなくても、「まあいいか」と、気持ちを
解き放つこと。これしかない。自分を許すことだ。

 加えて、「計画どおりにいかなくなったことで、より素晴らしい別の
展開があるだろう」と、前向きに考えられれば素晴らしい。

 これだけだ。

 ご賢察のように、以上の予防法を君に薦めたからといって、私は物事
に半端な気持ちで臨むことを奨励しているわけではない。計画を達成す
るために、できるかぎりの努力をすべきは、当然の態度である。計画そ
のものに問題点はなかったか−と、冷静に吟味することが必要なのはい
うまでもない。

 “完全主義”を乗り越えないと、合格まで努力を続ける心と意気が破
綻しかねない。これを、私は怖れる。「まあいいか」と、軽く捌いて、
なおかつ成功へのステップを踏み続けていただきたいのだ。

ホーム