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bluewoody のミニエッセー・シリーズ

〜英語は旅路の彩り〜 60

 
 
◎スペンサーとスーザン


                    平成17年5月
 
 

 私の好きな小説に、ボストンの私立探偵、スペンサーが活躍するシリー
ズがある。すでに三十冊を数えた。作者は、ロバート・B・パーカー。荒っ
ぽくいってしまえば、ハードボイルドの範疇に入る小説である。

 ボストンを拠点に探偵業を営むスペンサーは、毎回、ハードな依頼を
背負って、事案の解決に向けて行動していく。いつの場合も自説や行動
規範を変えない頑固な姿勢を保ちながら。

 翻訳本で読んできた。すべて菊池光氏の訳出である。この訳文自体が
魅力的な「芸」になっているのだ。特に台詞(せりふ)がいい。

 失踪した女性を探すスペンサーとその長年の愛人(事実上の夫婦)で
あるスーザンとの会話。ちなみに、スーザンは開業している精神分析医で
ある。
 

(引用始め)

「助けてもらいたくない人を助けることはできないわ」
「ありがとう、ドクタ」
「あなたは大人よ。そのことは、私同様によく知っているはずだわ。二
人とも毎日そのことを教えられる仕事をしてるのよ」
「たしかに」

(引用終わり)


 スペンサーとラス・ヴェガスの情報屋(探偵?)、フォーチュナトと
の電話でのやりとり。


(引用始め)

「おれがどこにいるか、知ってるか?」(注・スペンサーの台詞)
「もちろん、知ってるさ、ミラージュだ。おれをなんだと思ってるんだ。
間抜けか?」
(引用終わり)


 原文もそうだろうが、菊池氏の訳文はひじょうに歯切れがいい。登場人
物の表情さえもが浮かんでくるような文となっている。荒っぽい言葉を適
格に使ってもいる。
 
 時には、いわゆる「翻訳調」と思える台詞が出てくる。しかし、これ
ほどの巧者が、何の意図もなく「翻訳調」の訳文を差し出してくるはず
がない。これは、皮肉屋で理屈屋で口のへらないスペンサーの性格をよ
り効果的に描出させるための訳者の工夫ではないだろうか。
 
 このシリーズは、ストーリーの面白さはもちろんだが、菊池氏のこの
ような職人ぶりも同時に楽しめるようになっている(と私は確信している)。
私のひそかな計画は、このシリーズの一冊を、原文と訳文を対照させな
がら、じっくりと読んでみることである。
 
 実は、原文のほうは手元にある。シリーズ中でも特に魅力的な作と自
分で決めている「初秋 EARLY AUTUMN」である。

 だめな両親のもとでだめになりかかっていた少年を、その母親の依頼を
きっかけに、スペンサーが預かることになる。スペンサーは少年を田舎の
人里離れた湖畔の小屋に連れて行き、そこで過ごしながら、少年を鍛え、
心身ともに蘇生させていく物語である。

 読み終わると、初秋の空のように清清しい気持ちになる。この小説は、一
種の教育論になっているようだ−などと、したり顔でいわなくても、よいだ
ろう。

 現代に真の意味の「命令」があるとしたら「感化」という形でしか表出され
ることはないだろう−と、若い時分に読んだ本に書いてあった(細部は記憶が
あやふやだが)。

 スペンサーなりの一見、荒っぽい方法ではあるが、スペンサーの生き様は
少年の心を確かに感化していく。後の同シリーズ作品では、少年が立派に成
長している姿を見せる。


 まあ、私のこの「日英文対照読書計画」は、いつ実現できるか分からない。
巧みな訳文だけを読んでいる方が面白いからである。ネーティブは、こ
の素晴らしいシリーズを、そのままに読んで、素直に理解できるのだろ
うか。できるのだろう。うらやましいな。

 だが待て。原文が英文であるお蔭で、私は菊池氏による味のある「芸」
を楽しめるのではないか。いやはや…。
 


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