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bluewoody のミニエッセー・シリーズ

〜英語は旅路の彩り〜 7

   日本語のすばらしさ
      −機能と使い方 

優劣論を超えて
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 「英語だと、主語の次にすぐに述語が出てくる。だから、結論がすぐに分かって実用的である。これに比べて、日本語は述語(結論)が後に出てくる。したがって、結論がすぐに分からず、不便な言語である。つまり、英語の方が日本語より優れた言語である」。

 以上は、とても俗耳に入りやすい議論ではないだろうか。どこかで聴いたような意見である。ある意味では、ポイントを突いているともいえるかもしれない。だが、本当に日本語は「不便で機能的に劣った言葉」なのだろうか。


      僕は駅へ行く。

      I go to the station.
 

  両者を見比べて、日本語の結論(述語)が、英語の場合より少しくらい後に来るからといって、いかほどの違いがあるというのか。わずかな時間差に過ぎないのではないか。

 英文を見よう。最初の2単語 「I go」 までしか聴いていなければ、一体「どこへ」いくのか分かりはしない。一方、日本文の方は、「僕は 駅へ」となり、少なくとも「方向性」はつかめるのだ。 

 この両者を比べて、いずれかが優れている(劣っている)などと考える態度は、根本から間違いではないだろうか。つまり、日本語は英語に比べて劣ってなどいないーと、はっきりと知っておこう。

「使い手」(筆者、話者)の責任とは
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「いや、そうはいっても、長い文章の場合には、やっぱり、述語が先に来る英語の方が、理解が早いのではないか」。こういう疑問が出てくるかもしれない。

 お答えしよう。次の例を見てほしい。

    折からの雨で山の斜面が崩壊したため、通りかかった列車
    を大量の土砂が襲い、列車は2時間も現場に立ち往生した。

 
 この文例では、最後の「立ち往生した」まで読まなければ、列車がどうなったのかは分からない。これが耳で聞くラジオニュースなら、結論がなかなか分からないため、言葉に敏感な視聴者は、イライラするかも知れぬ。

 では、次のように、例文を書き直してみよう。


    列車は、襲い掛かった土砂で現場に立ち往生した。折からの雨で
    山の斜面が崩壊したためである。

どうだろう。すっきりと、すばやく、状況をつかめるのではないだろうか。もっと添削してみよう。

    列車は現場に立ち往生した。折からの雨で山の斜面が崩壊、
    土砂が襲い掛かったためである。

  列車がどうなったか、冒頭で分かる。もはや明らかなように、不便であり、分かりにくいと感じさせるのは、「日本語そのもの」に原因があるのではない。「日本語の使い方」が不適切ではないのか。そこで、


     「分かりにくさ、日本語責めるな、使い手責めよ」
     (bluewoodyの「讃日本語格言」より)

 自分(日本語)を愛せないものは、他人(英語)も愛せない?


      僕は駅へ行く。
      I go to the station.

に戻る。

 英文は、この語順が狂ったらもう使い物にならない。これは、英文法の初歩だ。だから英語は劣っているなどと、もちろんいうつもりはない。では、わが日本語はどうか。

      僕は行く。駅へ。

      駅へ、僕は行く。

      駅へ行く。僕は。

 いずれも、可能である。しかも、微妙にニュアンスが異なる。いってみれば、筆者の表現意図により、いくらでも多彩でこくのある描写ができるのだ。


     すばらしい言語である。日本語は。

     日本語は、すばらしい言語である。

 
 これで決まり。まず、自分の国語を愛そうじゃないですか。

(了)++++
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