bluewoody のミニエッセー・シリーズ
〜英語は旅路の彩り〜 8
“完全主義”を越えて
−大筋をつかめれば
ありえないパーフェクト
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英語を学んでいくのに“完全主義”でないと気がすまないという人がいる。筆者にも、少なからずこの傾向がある。ところが、この“主義”は、英語学習では必ずしも有効でない場合があるということが問題なのだ。
“完全主義”の“症状”を挙げてみよう。 @目の前にある英文の新聞記事のうちひとつでも知らない語彙があると、安心できない Aニュースを聴いて、ひとつでも聴き取れない言葉があると、いらいらする B文法的に完全と思える発言ができないと、自己嫌悪に陥ってしまう(軽度にせよ)…。
いかがなものだろう。
例えば@。新聞の論説などちょっと固めの読み物には、わからない言葉がいくつか出てくるのではないだろうか。この不明の語彙をすべて辞書引きして確かめれば、これはこれでけっこうだ。しかし、不明な言葉の意味を、「文脈から推理、想像する能力を養う」という点では、どうだろうか。
辞書依存の恐さ
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不明な語彙をすべていちいち調べていたのでは、肝心の推理、想像力が育たないのではないか。ちょっと逆説めくが、辞書に頼るほど、英語力いや読解力が衰えてくるのではないか。そして、調べている単語について辞書に書いてある語義にこだわればこだわるほど、その単語が使われている文章の中での位置付け、意味をみつけにくくなるのではないか。
言葉には、無限の広がりがある。このことを、筆者は最近受講した通信翻訳講座で実感した。
どんな広がりなのかをつかむのは、読者の想像力でしかない。辞書は、読者のこうした孤独な営為を手助けするツールでしかないのだ。
試験現場で辞書引く?
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現実的な話に戻ろう。
英検準1級にしろ、トイックにしろ、文章解釈の問題にあなたの知らない語彙が出てくることは避けられない。これに対処するのに、不明の語彙をなくさなければ回答できないという“体質”でいたら、どうなるのか。
とてもじゃないが、短い制限時間で回答するなどはおぼつかない。筆者の意図を分かっていただけたろうか。不明な単語について、文脈からおおよその意味を推理しておき、「その文章なり記事が全体的に何を訴えているのかを大づかみにする」。つまり、文中に少しくらい分からない単語があっても、想像力で乗り越えていく。これが大切なことなのだ。
Aでも、全体の要旨をまずつかむように聴く。その上で個々の単語を吟味なり、想像していくことがいいのではないだろうか。
外国人である
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Bでは、「我々は英語に対して外国人である」という意識を強く持ちたい。そうすると、「文法的に完全でないとしゃべれない」あるいは「いつも正しい言葉をつかわなければ、まずい」という発想が、いかにナンセンスかがよく分かってくる。
もちろん、「文法的に正しく話し、正しい英語を使えるようになろう」と努力することは必要である。これは当然のことだ。筆者がいいたいのは、こうした努力への意思が強すぎる、つまり、「“完全主義”に陥ってしまうこと」がまずいということだ。これでは、英語の文章や音声ニュースを大雑把に解釈したり、意思を通じさせるためにとりあえず言葉を発しようとする意欲がしぼんでしまう恐れがある。
平たくいおう。
“完全主義”でなくとも、英語は楽しめますよ−と。
(了)
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